「江戸に学びたいSDGs」(1126号)・・SDGsに取組むAZA

人類が長年にわたって安定的に暮らしていける世界を目指すSDGs(持続可能な開発目標)は、2030年を目標に取り組みが進められていますが、江戸時代の日本では、すでに実現していたものもあり、当時の暮らしぶりに学ぶことが多いといわれています。例えば、「安全な水とトイレ」において、ユニセフによると現在、安全に管理された飲料水を飲めない人口が世界で約20数億人、トイレのない生活を送っている人口も約20億人といわれます。日本では、1590年に神田上水の整備が開始され、1654年には玉川上水が開通して、江戸時代には、江戸の町で誰もがきれいな水を利用することができました。川から引かれた水は上水を通って江戸市中まで、地中に埋め込まれた木製の水道管「木樋」で運ばれ、庶民が暮らす長屋にまでつながっていました。こうした湧水式の井戸と上水網は、当時の世界最先端をいく都市インフラだったのです。下水においては、長屋の共同便所から大名屋敷のかわやまで、ふん尿は契約農家に肥料として買い取られていました。もともとは江戸城や大名屋敷に出入りを許された名主や豪農が、トイレ掃除の手数料代わりに無料でふん尿を入手できましたが、江戸中期以降は「下肥買い」として、有料ビジネス化されたうえに買い取り価格も高騰したといわれます。そのほかにも着物、傘の古骨買い、ごみくず拾いをはじめ、カマドで出る灰は染め物の色素定着材や畑の土壌改良などに利用するための「灰買い」が買い取り、ロウソクの溶けたロウは「ロウの流れ買い」が回収するなど、生活廃品もリサイクルされていました。リサイクルショップそのものの「けい残屋」もありました。武家や豪商の屋敷をまわり、不要な贈答品などを買い取る商売で、下取りした品は、再度、安価な値段で商品として売り出しました。こうしたビジネスの数々は、当時の循環型社会と雇用に貢献していたといえるのです。その他、温暖化防止においても江戸は優れた都市構造を持っていました。江戸市中は、クモの巣のように堀が張り巡らされた水運都市でした。江戸湾と結ばれたこの水路を通じて、海風が市中の気温上昇を抑える機能を果たしていたのです。さらにSDGsのひとつ「質の高い教育」においても、江戸時代の寺子屋は優れたシステムでした。子どもは庶民でも七歳になると寺子屋に通い出しました。読み書きを基本に商人の子にはそろばん、女児には裁縫など、頼めばなんでも教えてくれる個別教育で、教科書にあたるテキストも師匠が子どもに応じて選んだものを使っていました。江戸時代にどれくらい寺子屋があったかを正確に伝える『日本教育史資料』には16,000軒以上あったといわれますが、近年の調査ではその数倍あったという説もあります。江戸時代中期以降には100万人を誇る大都市となっていた江戸。温故知新で現代に活用できる知恵があふれているように思います。江戸が長く栄えた理由がよくわかりました。

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