「ノーベル賞受賞者・山中伸弥氏と(私)の苦闘!」(993号)・・ワークライフバランスのAZA

「壁にぶつかったことが、ぼくに新しい道を開いてくれた」。京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長が苦闘の日々を振り返り、語っています。整形外科の研修医だった頃のこと。不器用で、他の人が20分で終わる手術を、氏は2時間もかかって行っていました。指導医から「ほんまジャマや。ジャマナカや」といわれていたそうです。努力しても上達せず、自信を失うばかり・・。仕方なく研究者の道に方向転換すると、これが功を奏したのです。ある時、新しい遺伝子を発見しました。驚きと感動で胸がいっぱいになり“ぼくにも苦しむ患者さんの役に立てる可能性がある”と研究に没頭するようになったそうです。やがてノーベル賞受賞につながるiPS細胞の開発を手掛けるまでになったとのこと・・。比べるに値しませんが私も少しカミングアウトしておきます。私、小学校の高学年の時にブクブクの「超・肥満児」でした。年に一度の身体検査も皆とは別に、保健室で行うんです。屈辱でした・・。中学校に上がったら相撲部屋に・・との話も有りましたが、中学で野球に打ち込んで今のモデル体型(笑)に変わりました。今でも体型維持には凄い執念持っています。当時は鉄棒とマラソンと縄跳びが超苦手。学校でいつもビリッケツだったんです。ところが屈辱をバネに変えて、中学に上がった頃には、縄跳びの縄を「重い縄」に変えて毎日血まみれになるまで特訓。学年一番の2重飛び記録を樹立。マラソンはいつもビリでしたが、毎晩走り込みを行い、陸上部の代走として大会に出場するようになりました。最後まで苦労した鉄棒も、中学生後半になってやっと逆上がりが出来るように・・。(笑)勉強も全くだめだめで・・。中学2年の最後の期末試験で100点満点のテストが2点・・。(それなりに勉強してて)絶望感で春休み死ぬほど勉強して3年に進級した初めてのテストで100点取りました。全く良いとこ無しの自分が努力をすると、こんなに変わることが出来ることを学んだこと、今も財産になっています。全部父親の地獄の鬼シゴキがあったから出来た賜物です・・。成功すれば自信になるし、失敗したって“こやし”になります。逆に何もしないと大損しちゃいますよね。挑戦を重ねれば重ねるほど幸福への価値を生み出せるのではないでしょうか。

エンジニアリング・最近の実績☆☆AtoZtoA