「あの有名経営者はこうして成功を収めた」(978号)・・真空装置設計のAZA

「オリンピックに参加する以上は勝たなければならない」という経営者の名言を残された盛田昭夫のご紹介です。今年はMr. SONY 盛田昭夫の生誕100周年。米誌『タイムス』により、20世紀にもっとも影響力があった20人のうち一人に選出された盛田昭夫。「世界のソニー」を築き上げた彼の人生は、挑戦の連続でした。造り酒屋の長男として生まれた昭夫は、15代目の後継ぎとして育ちました。しかし、幼いころから機械や電子工学に興味を持ち、大学でも理学部に進みます。卒業後、海軍技術中尉となった盛田は、派遣された科学技術研究会で、後にソニーを共に創業する13歳年上の井深大と運命的な出会いを果たした。二人は終戦直後に再会し、1946年にソニーの前身となる東京通信工業を設立。48年から2年の試行錯誤を経て、国内初のテープレコーダーを発売しました。しかし高価すぎて売れ行きは惨憺たるものに・・。昭夫は製品を作るだけでなく、売ることの難しさと大切さを思い知る。55年には日本初のトランジスタラジオを発売。そのころ、昭夫は初めてアメリカとヨーロッパを訪れ、そのスケールの大きさに圧倒される。この経験から、今後は日本だけでなく世界をマーケットにしようと、どの国でも発音しやすい「SONY」という名称が生まれました。以降、カラーテレビやビデオカセットレコーダー、ウォークマン、CDプレーヤー、MDなど、ソニーの快進撃が続いたのです。63年にはニューヨークへ移住。現地のコミュニティと積極的に関わることを心がけた彼は、いつしか「日本の顔」として世界中に知られるようになっていきました。世の中にないものを作ることをモットーに、ソニーを成長させた昭夫。テープレコーダーの失敗を生かし。上の名言にあるように「ビジネスで勝つこと」を守りながらも、常々「失敗を恐れるな」とも口にしました。ソニーがエレクトロニクスだけでなく、音楽や映画、金融、ゲームまで事業領域を広げられたのは、その姿勢が根底にあったからに他なりません。新しい事業に挑戦するとき、彼のビジネス哲学からは学ぶところが多いです。また私達同じ技術者として「失敗を恐れずに挑戦し、必ず勝つという精神」を貫きたいですね。

 

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