節分の思い出(214号)

子供のころは、節分は一大行事の一つでした。

今日は、節分。子供のころは、節分は一大行事の一つでした。
食いしん坊で、良く太っていて食べることが大好きだったので、豆を食べたり
恵方巻を食べたりと、食べることの行事が、本当に好きでした。
豆の個数も数え年の個数だけでは足りず。お祖母ちゃんが食べられ無い分を食べてあげたりで
真剣に早く、大人になりたいと思っていました。
子供の頃(幼稚園~小学校6年まで)、千葉の市川市に住んでいた。家のすぐ隣に、中山法華経寺という
日蓮宗の大きなお寺があり、中山競馬の開催日は駅から参道を抜けて競馬場に行くおじさん達が
大勢通ります。帰りはその参道でお酒を飲んだり、博打をしたり治安が悪く殴り合いの喧嘩も
良くおこり血だらけの人を見かけることもありました。戦後30年近くになろうとするのに、国民服を着て
国民帽をかぶって、片腕が無かったり、片足が無かったりという人も集まって、
「お恵みを・・・と」座り込んでいたり。暴力団の葬式も多く、黒塗りで強面の集団が
沢山いる時もありました。そんなお寺でしたが、通学路でもあり、良き遊び場でもありました。
節分には、関取や芸能人が来て豆まきをやります。そこにグローブとか虫取り網を持ち込んで豆や
お菓子、みかんなどを取り合う行事が大好きでした。毎年首を長くして待つ行事の一つでした。
長谷川家では、毎年豆まきをきっちりやっています。子供が小さい時は、鬼のお面にマントをして
大盛り上がりの行事でしたが今では、玄関が汚れるから・・・とか言いながら少しの豆を
義理のように蒔いています。今年は子供の頃に戻って、大はしゃぎで豆まきを行ってみようと思います!!

新聞記事から

ディープ・ラーニング(深層学習)という技術によって、人工知能(AI)は著しい発展を遂げている
▼自動運転の車や、会話のできるロボットなどが登場し、日常生活にも変化が起こりつつある。
2045年にはAIの知能が人間を超える、との予測もあるが、AIと人間の関係を問う視点を持ち続けたい
▼AIはモーツァルトになれますか――音楽学者の岡田暁生さんは最近よくそんな質問をされるという。
“モーツァルト風の曲が作れるか”という意味なら「イエス」、“モーツァルト並みの曲が書けるか”なら
「ノー」と答えるそうだ(「毎日新聞」16日付夕刊)
▼どんな大作曲家の曲にも、独特のパターンがあるから、AIは、パターンなどデータの集積と
組み合わせによって“モーツァルトらしい曲”に仕上げることはできる。だが、パターンそのものを
生み出し、人々の心を打つ名曲を作ることは、偉大な作曲家、つまり人間にしかできない、
と岡田さんは強調する
▼AIという存在は、私たちの「人間の証し」について鋭く問い掛ける。物事の善しあしを判断し、
新たな価値を創り出すことは、人間にのみなせる業。技術革新とともに、人間が価値創造の知恵を
発揮していくならば、生活や社会は真に豊かなものとなるだろう。
※文化や風習を楽しんだりすることも本当に豊かな事の一つでAIには楽しめないですよね。